三輪運輸工業株式会社

神戸製鋼所、田宮嘉右衛門と共に歩んだ総合一貫物流会社

三輪運輸工業は、明治21(1888)年に三輪徳太郎が神戸の脇浜に創業した貨物陸揚げ運搬業「三輪組」を起源とし、鈴木商店とは、鈴木が洋糖引取商だった頃から取引がありました。

そして神戸製鋼所初代支配人であった田宮嘉右衛門との出会いから、同社の原材料の荷揚げ運搬、製品の積み出し荷役から土木工事など請負業者として指定されました。

本社には、田宮嘉右衛門直筆の書「総親和」と「重職責」、また創業当時に小頭(現在の現場監督)以上の社員が着ていた「刺子半纏」を展示しております。大正7(1918)年の米騒動の際には、「神鋼も米を隠している」との噂が流れ、田宮邸も焼打ちに遭う恐れがあったため、徳太郎は「田宮さんの家を守ろう」と味噌樽を買い占め、当時の確実な消火法である味噌を田宮邸全体に塗り潰し難を逃れたという逸話も残っております(海鳴りやまず~神戸近代史の主役たち~第二部 神戸新聞社著より抜粋)。このように三輪組は神戸製鋼所とともに、特に田宮嘉右衛門の信頼を得ながら発展してまいりました。

事業伸長に伴い大正14(1925)年に合資会社三輪組に、昭和23(1948)年に三輪運輸工業株式会社に改組し総合一貫物流事業者として大きく発展して来ました。現在、当社は物流・建設・工業・環境の4部門を有し、製鉄所・工場内一貫物流、自社車両製作工場でのコンテナ着脱分離型トラック・車両などの産業用特殊車両の製造から一般製缶まで、さらに産業廃棄物処理プラントの操業及び収集・運搬を担い鉄鋼業を全面的に支援する総合物流サービスを提供しています。

関連リンク

  • 「田宮嘉右衛門直筆の書」
  • 刺子半纏

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