10月10日(土)~12月27日(日)の間、兵庫県立美術館にて小企画展「吉田博 播磨造船所 絵画群」が開催されます。
2020.10.4.
来る10月10日(土)から兵庫県立美術館にて明治、大正、昭和にわたる風景画の第一人者、吉田博がアジア・太平洋戦争中の播磨造船所において勤労動員学徒の作業風景および船舶の建造風景などを描いた油彩画、下絵(スケッチ画)の展覧会が開催されますのでご紹介します。
【小企画展「吉田博 播磨造船所 絵画群」 概要】
■会 期 令和2年10月10日(土)~12月27日(日)
■開館時間 午前10時~午後6時(特別展開催中の金・土曜日は午後8時まで)
■休館日 毎週月曜日 [11月23日(月・祝)開館、11月24日(火)休館]
■会 場 兵庫県立美術館 2階 常設展示室6
〒651-0073 神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1 TEL 078-262-0901
■主 催 兵庫県立美術館
■協 賛 公益財団法人伊藤文化財団、サンシティタワー神戸
■特別協力 株式会社JMUアムテック、株式会社IHI相生事業所
■作品点数 播磨造船所を源流とする旧・IHI相生第一工場の倉庫内およびIHI相合総合事務所の倉庫内から発見され、その後JMUアムテック、IHI相生事業所および個人(旧播磨造船所の幹部)から同美術館へ寄託された、アジア・太平洋戦争中の播磨造船所の勤労動員学徒の作業風景および船舶の建造風景などを描いた油彩画15点と広畑製鉄所を描いた2点を含む吉田博の絵画22点余り、吉田博のご令孫で画家の吉田亜世美氏から提供された下絵(スケッチ画)数十点を予定
■見どころ アジア・太平洋戦争中の絵画で現存するものが少ない中でこれほどまとまったものは珍しく、当時の播磨造船所の様子が克明に描かれた大変貴重な作品群である。いくつかの絵画は下絵も展示されることから、両者を比較することで創作の過程が理解できる。
※観覧料金、学芸員による解説会等については下記関連資料のチラシをご覧下さい。
<吉田博 略歴>
明治9(1876)年9月、現在の福岡県久留米市にて出生。昭和25(1950)年4月、東京にて死去。洋画家、版画家。明治、大正、昭和にわたる風景画の第一人者。山岳画家としても有名で、自然への真摯な眼差しと確かな技量に支えられた叙情豊かな作品で国内外の多くの人々を魅了し、日本よりも欧米で高い評価を受ける。昭和13(1938)年以降は陸軍従軍画家として中国大陸の戦場に赴き、多くの戦争画を残した。アジア・太平洋戦争勃発後は、戦時体制下で増産に励む製鉄所や造船所の現場の絵画に専念。昭和18(1943)年から昭和20(1945)年にかけて相生の播磨造船所を訪れ、勤労動員学徒の作業風景や船舶建造風景を描いている。
JMUアムテックおよびIHI相生事業所が吉田博の絵画を兵庫県立美術館へ寄託するのに先立ち、旧播磨造船所出身の5名からなる吉田博展実行委員会(*)が結成され平成30(2018)年6月21日(木)~7月2日(月)の間、相生市文化会館 扶桑電通なぎさホールにて吉田博展「相生における吉田博画伯」-戦時下の播磨造船所風景― が開催されました。
(*)吉田博展実行委員会のメンバー
会長 石津 康二(昭和33年 播磨造船所入社)
委員 山上 和政(昭和43年 石川島播磨重工業入社)
荻 俊秀(昭和49年 石川島播磨重工業入社)
宮艸 真木(昭和49年 石川島播磨重工業入社)
水野 昌芳(昭和60年 石川島播磨重工業入社)
展示会の会期は短期間であったにもかかわらず1,539名もの方々が来場され、反響の大きさと吉田画伯の人気の高さが示され成功裏に閉会しました。
同実行委員会は絵画の探索、地元での展覧会の準備と実行、追跡調査、調査誌の編集作業等におよそ1年半を費やした後の平成31(2019)年3月、それまでの調査・検討結果を「相生『吉田博展』その後 ―播磨における吉田博の足跡―」としてまとめ上げ、上梓されました。(編集者:吉田博展実行委員会、発行者:株式会社JMUアムテック・史料館)
「相生『吉田博展』その後」(2019年3月発行)と「続・相生『吉田博展』その後」(2020年8月発行)
その後、吉田博のご令孫、吉田亜世美氏の自宅から相生近辺のスケッチ画が200点余り発見され、これらのスケッチ画から「相生『吉田博展』その後」に記述した内容から変更もしくは追加すべき点が明らかになったことから同実行委員会は令和2(2020)年8月、「続・相生『吉田博展』その後 ―吉田博の播磨造船所勤労学徒への熱いまなざし―」を上梓されました。
このフルカラー印刷による2冊の調査誌は、同委員会のメンバーが造船所に残された当時の建造線表(予定表)、工場配置図、絵画中の山容や作業員の服装、吉田亜世美氏より提供されたスケッチ画等を参考にして各絵画の作画場所や作成時期、絵画中の船舶や人物を特定した過程などが詳述された労作です。 なお、兵庫県立美術館の出原均学芸員の言を借りれば、この2冊の調査誌は第一級の資料的価値を持つと言えましょう。
・上の絵画はIHI相生総合事務所内の倉庫から発見された「松の浦工場東船台」(昭和19年4月~6月)で、一連の吉田博の油彩画の中では最大のものです。(80.0cm×131.0cm)
吉田博展実行委員会のメンバーが、造船の専門家としての眼力と熱意をもって調査に当たられた結果、播磨造船所とその後継造船所に関わって来られた方々にしか分からない事柄が数多く発見されました。とりわけ、それまで長い間不明であった、アジア・太平洋戦争中の昭和18(1943)年から昭和20(1945)年にかけての吉田博の足跡と業績がほぼ解明されたことは特筆すべきことでした。
※以上、記述内容の出典: 株式会社JMUアムテック・史料館発行の「相生『吉田博展』その後」と「続・相生『吉田博展』その後」
兵庫県立美術館での小企画展「吉田博 播磨造船所 絵画群」の開催決定は、吉田博展実行委員会のメンバー全員の播磨造船所、地元・相生に対する熱い思いと、吉田家の方々、美術関係者、かつての学徒動員学校、相生市を始めとするすべての関係者の献身的な協力が相まって実現したものと言えましょう。
吉田博の絵画が旧・IHI相生第一工場の倉庫内で発見されたことから始まり、小企画展「吉田博 播磨造船所 絵画群」の開催実現に至った経緯の詳細については、下記関連資料の「兵庫県立美術館にて小企画展「吉田博 播磨造船所 絵画群」が開催されるまでの経緯」をご覧下さい。
播磨造船所、吉田博に関心をお持ちの方は、是非兵庫県立美術館に足をお運びください。