「神戸発祥の総合商社の源流・鈴木商店を知る」第4回勉強会で、当記念館の編集委員・前田 勝氏が講師を務めました。
2019.2.27.
この度、「神戸発祥の総合商社の源流・鈴木商店を知る」第4回勉強会が開催されましたのでご紹介します。
今年度最後の勉強会となる今回は、今から100年前に鈴木商店が発行した小冊子「米価問題と鈴木商店」(永井幸太郎 執筆、大正8年2月5日合名会社鈴木商店米部発行)を取り上げました。この小冊子は「鈴木商店焼打ち事件」の原因が誤解と曲解に基づく風説によるものであることを、データと事実に基づいて鈴木商店自ら説明しその潔白を世に問うたもので、勉強会では鈴木商店の名誉回復までの経緯を振り返りました。
【第4回勉強会 概要】
■日時 平成31年2月23日(土) 14:00~15:30
■場所 神戸ポートオアシス5階 502会議室(神戸市中央区新港町5番2号)
■講師 前田 勝(鈴木商店記念館編集委員・株式会社双日総合研究所 調査グループ サブリーダー)
■主催 神戸市(みなと総局 計画課 港湾計画課)
■テーマ "米騒動から100年"「米価問題と鈴木商店」から振り返る鈴木商店焼打ち事件
大正3(1914)年7月にヨーロッパで勃発した第一次世界大戦は、遠く離れたわが国の産業界に空前の好景気をもたらしました。しかし、反面この所謂「大戦景気」は急激な物価高騰を引き起こし、特に大正7(1918)年に入ると米価が急騰しました。
こうした中、あらゆる分野に「戦争成金」が登場する一方で勤労者の実質所得は急低下し、深刻な食糧危機と生活難から民衆の不満・怒りは頂点に達していました。
こうした状況下の同年7月23日、富山県新川郡魚津町(現・魚津市)における漁民婦人たちの同県産米の県外移出阻止運動、米屋・富商襲撃を皮切りに、いわゆる「米騒動」は瞬く間に全国各地に波及していきました。
※上の写真は平成10(1998)年に建立された「米騒動発祥の地」の石碑と、後方の建物は旧十二銀行(現・北陸銀行)の米倉です。なお、魚津市は7月23日を「魚津米騒動の日」と定めています。
「船成金」の本場であった神戸は人口の急激な流入に伴う借家難から家賃が急騰し、米価と家賃の挟撃を受けて飢餓状態ともいえる様相を呈していました。当時鈴木商店は政府の米価調節策に応じて外米輸入や朝鮮米移入に従事していたにもかかわらず、「鈴木商店 = 米買占めの元凶」といった風説が巷に流布し同年8月12日、神戸に飛び火した米騒動の嵐が神戸市東川崎町の鈴木商店本店(旧みかどホテル)を襲い、鈴木躍進の象徴であったこの本店は灰燼に帰しました。(所謂「鈴木商店焼打ち事件」)
※上の写真(左)は神戸市東川崎町の鈴木商店本店、(右)は紅蓮の炎に包まれる同本店です。
※上の写真(左)は「米価問題と鈴木商店」、(右)は執筆者の永井幸太郎(後・日商[現・双日]社長、商工省貿易庁長官)です。
勉強会は主催者である神戸市みなと総局 計画部 港湾計画課・田中謙次係長の司会で始まり、第2・3回勉強会と同様に、途中「米価問題と鈴木商店」中のポイントとなるフレーズを参加者の皆様に音読していただきながら進められました。
次のフレーズは、「米価問題と鈴木商店」の中で鈴木商店自身の潔白を強く訴えている箇所の一つです。
「実際当店は終始一貫、当局の意のある処を体し社会のため一片の私心なく米価調節、供給補充のため尽瘁したるを以て一部暴民の誤解を招きたるは当店の不徳の致す処とは云え衷心顧みて一点疚しき所なきなり」
なお、「結論」においては次のように記しています。
「然れども当店は決して他を怨まず自ら其の不徳を責めて益々国家社会の為に貢献する所あらむことを期す。・・・・ 所謂雨降って地固まるの譬の如く、当店今回の不幸は転じて他日の幸福となるべく吾人は之を庶幾して以て自ら大いに慰め且励みつつあるなり」
講演内容の骨子は次のとおりですが、当日は満席となる70名余(関係者を含む)の方の参加をいただき、会場を埋め尽くした参加者は綿密な調査に裏打ちされた前田氏の解説に聞き入り、配布された「米価問題と鈴木商店」(現代語表記版)を熱心に見入る姿が数多く見られました。
講演の最後には参加者から質問が4つほど出され、今回のテーマへの皆様の関心の高さが窺われました。今回の勉強会に参加された皆様は、鈴木商店の潔白について充分ご理解をいただき帰路に着かれたものと思います。
<勉強会の骨子>
1.鈴木商店が「米買占めの業者」と誤解されたのは過去2回
・1回目は 大正6(1917)年頃~7(1918)年8月 (焼打ち前)
・2回目は 昭和35年(1960)年頃~41(1966)年頃 (学術論文「米騒動の研究」の発表による)
2.鈴木商店が誤解され、怨嗟の的となった理由
・過去の研究者が挙げた概ね4つの理由について
3.「鼠」(城山三郎著 昭和41年4月10日文藝春秋発行)は何を指摘したのか(1)
・「米騒動の研究」が「米価問題と鈴木商店」を全く無視しているのは事実誤認・拡大解釈によるもの
・「米騒動の研究」における買占めの噂の部分は別論文の引用であるが、証言は間違いであったことを明らかにした。
この小説「鼠」により、鈴木商店が焼き打ちの標的となった原因は風説によるものであることが明らかにされ、「米買占めの元凶」という負のレッテルは払拭されたと言ってもいいでしょう。
4.「鼠」は何を指摘したのか(2)
・噂の部分(引用論文「新史流」に記載されていた3人の証言)はすべて都合よく解釈されていた。
5.「鼠」の記述と「総合商社の源流 鈴木商店」(桂 芳男著 昭和52年11月 日本経済新聞社発行)による追認
・「米騒動の研究」 は「権威ある城郭(論文)も砂上のもの」(城山三郎)、「学術書としての致命傷『牽強附会』("自分に都合のいいように無理に理屈をこじつける"の意)」(桂 芳男)
6.「米価問題と鈴木商店」の概要
・執筆者、構成、文体、過去の紹介例、今回使用した原本、ほか
7.明治33(1900)から昭和20(1945)年までの卸売物価の動向(折れ線グラフを使用し分析)
・特に、米騒動が発生した大正期における卸売物価の動向について解説
8.「米価問題と鈴木商店」に記載されている政府の米価調整策(折れ線グラフを使用し分析)
・①大正4年の米買上げ ②大正5・6年の輸出 ③大正7年の緊急輸入
9.「米価問題と鈴木商店」が指摘した大阪朝日新聞の3つの誤報
・「米価問題と鈴木商店」に記載されている大阪朝日の3つの誤報と事実関係を対比
10.「米価問題と鈴木商店」の記載と大蔵省・農商務省の記録とを照合
・これにより「米価問題と鈴木商店」の記載が正しい事を確認
※今回参照した資料 ・・・・「明治大正財政史」(昭和15年 大蔵省編纂)、「大正以後に於ける米価並米量調節」(大正13年2月 農商務省食糧局発行)、「米穀法制定の経緯資料」(昭和13年7月 鈴木直二著)
照合の結果、不一致はないこと、鈴木商店はその多大な貢献を政府から評価されていたことを確認することができました。
現在、焼き打ちに遭った鈴木商店本店の跡地(神戸市中央区栄町通7丁目)には「鈴木商店モニュメント」(下の写真)が建立されています。このモニュメントは鈴木商店記念館が鈴木商店の歴史的価値を後世に伝えるために、神戸港開港150年を記念して建立し平成29(2017)年7月7日、除幕式・贈呈式を執り行い、神戸市に寄贈したものです。是非一度、現地を訪れてみてはいかがでしょうか。
なお、「米価問題と鈴木商店」の原文は次の鈴木商店関連資料のページからご覧下さい。
■第4回講演会(最終回)は平成31年3月9日(土)14:00~15:00、株式会社市場経済研究所代表取締役、当記念館監修の鍋島高明氏による講演(演題:金子直吉と岩崎弥太郎 ~共通点と相違点~)を予定しています。