⑬ペーロン会場
播磨造船所の海上運動会から始まったペーロン競漕
ペーロンは中国福州地方で始まった。楚の名宰相屈原の霊を慰めるために龍船を造って競漕したことが、ペーロンの起源とされている。
日本では、明暦元(1655)年5月、長崎に来航していた中国船が船神に風の鎮静を祈ってペーロンを行ったことに始まり、長崎近郊では、夏の年中行事としてペーロンが催されている。
大正時代、播磨造船所には長崎から多くの従業員が移ってきた。大正11(1922)年、造船所の長崎県人会が故郷を偲んでペーロンを提案、その年は漁船で、大正12(1923)年には3隻のペーロン船を建造して競漕した。初代のペーロン船は40名乗りの大型で、造船所の守護神「天白神社」にちなんで天龍・白龍・神龍と名付けられた。
戦前のペーロンは、造船所の海上運動会として5月27日の海軍記念日に行われていたが、現在は、相生ペーロン祭りの海上行事として5月末の日曜日に行われている。
昭和55(1980)年から、ペーロン船は少し小型化されて32人乗りとなったが、龍の頭を表す長い船首など古風な形式を受け継いでいる。昭和61(1986)年には、女子禁制を破って女子中学生が参加、今は老若男女がペーロンを楽しんでいる。
ペーロンは見ているより自分で漕ぐ方がおもしろい参加型のイベントである。体験乗船の企画がある日には、一人でも参加することができる。波静かな相生湾を造船所の近くまで漕いでいくとペーロン船に快い潮風が吹く。