⑨相生市立歴史民俗資料館
造船所とともに近代化していく相生を展示
中央の丘にある白い壁の建物が相生市立歴史民俗資料館、左の赤い壁の建物は相生市立図書館である。
相生市は中世矢野荘と同じ領域にある小都市である。矢野荘の古文書は「東寺百合文書」の一環として集大成されており、矢野荘は日本史の世界では有名な荘園の一つである。また、金春禅竹は能の秘伝書「明宿集」に、秦河勝がこの地に漂着して神となったという伝承を記している。
相生湾は、矢野荘の産物の搬出ルートにあたり、右手の小高い山には鎌倉時代の地頭海老名氏が居城を築き、対岸の左手の丘には室町時代に赤松氏が城を構えていた。歴史民俗資料館は、2階に古代から近世まで千年にわたる矢野荘の史を展示し、1階は播磨造船所とともに近代化をすすめた百年の歩みを展示している。
歴史民俗資料館の建物は、鶴亀高等小学校校舎を模したデザインとなっている。平安末期、秦氏が開発して皇室領荘園となった矢野荘は、江戸時代になると幕府領と赤穂藩領に分割されてしまう。そして、明治の廃藩置県の後、旧矢野荘に矢野・若狭野・那波・相生(おう)という四つの村が成立する。この四つの村が協力し、子供たちの教育のために設立したのが鶴亀高等小学校である。各村に高等小学校が設立されるにしたがい、鶴亀高等小学校は短い歴史を閉じるが、旧矢野荘(現在の相生市)の村々が協同して行った最初の事業という象徴的なデザインである。
大正時代、鈴木商店が播磨造船所を拡張し、播磨造船所の興隆とともに旧矢野荘の四つの村は結びつきを深めて合併を繰り返し、昭和29(1954)年、旧矢野荘の領域は相生市として統合された。歴史民俗資料館では、鈴木商店という一企業の積極的な投資が、中世の荘園を現代都市として甦らせるプロセスを学ぶことができる。