⑮大里倉庫

大里製糖所向け保税原糖を保管

鈴木商店が本格的に生産部門に進出した製糖工場・大里製糖所は、わが国最初の臨界工場であり鈴木の一大コンビナートの始まりであった。大里製糖所は明治36(1903)年、鈴木商店が2/3,大阪辰巳屋藤田商店(藤田助七)が1/3出資し共同事業としてスタートした。製糖原料としてジャワ糖の輸入を進め、保税原糖の取扱いのため藤田商店名義で明治37(1904)年、「大里倉庫」が設立された。

然しながら大里製糖所は、明治40(1907)年、大日本製糖へ売却されたことから藤田商店は、大里倉庫から撤退した。大里倉庫のその後の経緯は明らかでないが、旧大里倉庫の建物の一つは現在、地元の「岡野バルブ製造・第二機械工場」(門司区中町)として活用されているが、同建物の外壁には、「梶山倉庫」の名前がうっすらと残っていることから、一時は倉庫として利用されていたことがうかがえる。

旧大里倉庫のもう一つの建物は、JR門司駅を挟んで海側の門司区大里本町2丁目に残っており、門司区栄町に本社を置く住宅設備機器商社・浅野物産の門司営業所の倉庫として活用されている。

  • 旧大里倉庫(現・岡野バルブ製造、外壁に梶山倉庫の社名が残る)
  • 旧大里倉庫(現・岡野バルブ製造)
  • 旧大里倉庫(現・浅野物産門司営業所)

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