⑨金子城跡・慈眼寺(新居浜市)
金子直吉の先祖、金子備後守元宅
金子直吉のもともと祖先は、戦国時代に四国を平定した長宗我部家の家臣・金子備後守元宅である。備後守は、天正13(1585)年に豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景によって滅ぼされ、300年以上続く金子氏は滅亡した。愛媛県新居浜市に金子城跡がある。
金子は晩年、金子備後守元宅の没後350周年の際に、1,000万円を寄付するとともに備後守について白石友治(後に著書「金子備後守元宅」、編纂「金子直吉伝」「柳田富士松伝」がある)に調査させている。
この金子城に隣接する「滝の宮公園」(金子山を中心とした新居浜市の管理する風致公園。面積 51.70ヘクタール。金子山の山頂には「展望台」があり、南東側に公園の中心部の「滝の宮大池」、北側に「トリム広場」がある。)には、金子が備後守について歌った句碑がある。
「天正の矢叫びを啼け時鳥(ほととぎす)」。これは、金子直吉が金子備後守元宅の滅亡と鈴木破たん後の自分を重ねた悲哀の詩である。句碑の建立者は、神戸製鋼創業期の田宮嘉右衛門(新居浜出身)である。現地の場所は同公園の供養塔から第二展望台に抜ける山林にひっそりとたたずんでいる。
滝の宮公園近くには金子備後守元宅の菩提寺である「慈眼寺」がある。元宅公の墓は、慈眼寺本堂左手の石段を登った山麓にあり、金子備後守供養塔が建てられている。