⑫第一橋梁
創業当時の苦労が偲ばれる不揃いな橋桁
鈴木商店の後継会社たる太陽曹達は昭和14(1939)年春、羽幌鉄道(*)を設立した。
(*)昭和16(1941)年5月5日、羽幌鉄道が羽幌炭砿を吸収する形で合併し、社名は羽幌炭砿鉄道となる。
昭和14(1939)年10月、羽幌鉄道は鉄道省による石炭搬送のための鉄道敷設認可(昭和15年5月7日)に先行して鉄道建設に着手。総延長16.6kmの鉄路は、最後の1年弱の間は鉱員約300名を動員して昼夜兼行、夜は投光器とキャップランプをつけて作業にあたり、事務職員も事務を簡素化して工事に従事するなど強行工事の結果、昭和16(1941)年12月14日、2年余りの短期間で完成し開通の運びとなった。
折しも当時は戦時体制下であり、建設資材の不足は深刻を極めたという。当時の担当技師が遠く九州、四国にまで足を運び、省線(当時の鉄道省の管轄下にあった鉄道線)の路線改修工事でスクラップ同然となった橋桁を探して回るなど散々苦労したという逸話も残されている。
羽幌炭鉱鉄道は築別駅から大きくカーブを描き、築別川に沿って内陸へと進路をとっていた。築別川は上流に行くにしたがって蛇行しているため、列車は築別川を数回渡河することになる。
まず、最初に渡る橋が第一橋梁である。第一橋梁は3本のコンクリート橋脚の上に鋼製の橋桁が架けられているが、よく見ると規格が異なるため不揃いになっていることが分かる。