(A)-⑥古賀町
創業時の役員、古賀六郎に由来する町名
古賀町(上古賀町と下古賀町)は築別川の右岸、築別炭砿駅の南西方向、谷町の北側に位置していた。その名称は羽幌炭砿創業時の常務取締役、古賀六郎の名字に由来する。
古賀六郎は、太陽曹達(後の太陽産業)の命により築別・羽幌両鉱区の実地調査を行った人物として知られている。炭鉱創業時は、常務取締役で初代鉱業所長と採鉱部長を兼務し、常に陣頭指揮にあたり鉱員・職員と一体となって羽幌炭砿発展のために力を尽くした。
羽幌炭砿勤務以前には、鈴木商店の系列企業である「沖見初炭鉱」の染採鉱部長を務め、昭和4(1929)年から翌年にかけては同じく鈴木商店の系列企業、「日沙商会」のサラワク調査隊(*)に炭鉱調査部門の責任者として2度にわたって参加していた。また、羽幌炭砿創立20周年に当たり当時の会長・髙畑誠一から寄せられた文章によれば、古賀は同じく鈴木商店の系列企業、「帝国炭業」にも勤務しており、まさに炭鉱調査のプロフェッショナルといえる人物である。
(*)当時のサラワクはボルネオ島北部(現在のマレーシアのサラワク州とブルネイ)に存在した白人王国である。