⑦ミキモト真珠島(元・相島)

真珠王・御木本幸吉による真珠養殖の発祥地

ミキモト真珠島は、鳥羽湾に浮かぶ小島で元々は「相島(おじま)」と呼ばれていた。

明治26(1893)年、御木本幸吉は相島にて世界で初めて真珠の養殖に成功、爾来この島で真珠の養殖事業を始めた。 

大正8(1919)年、鳥羽町は、相島の海面埋め立ておよび使用権を鈴木商店系の帝国汽船(大正7(1918)年に鳥羽造船所は播磨造船所と共に帝国汽船に吸収されており、実態は帝国汽船・鳥羽造船工場)に売却、その後昭和2(1927)年に鳥羽町は帝国汽船より買い戻した。  

昭和4(1929)年、鳥羽町は再度、相島を御木本幸吉に売却、御木本による本格的な養殖事業が始まった。昭和26(1951)年、レジャー施設として「御木本真珠ケ島」が開島、昭和46(1971)年、全島を「株式会社御木本真珠島」が経営するところとなり、島名を「ミキモト真珠島」に変更し、現在に至っている。

島内には、真珠の全てが分かる「真珠博物館」、御木本幸吉の生涯を紹介する「御木本幸吉記念館」、ショップ・レストランを運営する「パールプラザ」が設置され世界中から観光客が訪れている。

  

関連資料

  • 相島(左の小島)と対岸の鳥羽造船所
  • 巨大な御木本幸吉像
  • 真珠博物館

TOP