③帝国炭業・咸鏡炭坑 / 咸興支店
咸鏡炭坑の良質な無煙炭は「咸興炭」として朝鮮各地に販路を広げた
炭坑所在地:朝鮮咸鏡南道(かんきょうなんどう=ハムギョンナムド)新興郡加平面(現・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)咸鏡南道)
咸興(かんこう=ハムフン)支店:朝鮮咸鏡南道咸興大和町
朝鮮半島の東北部に位置する咸鏡道(ハムギョンド)は、李氏朝鮮時代に南北に分割され、日韓併合後も南北の行政府が置かれた。日韓併合後、三菱鉱業、明治鉱業などの石炭資本が進出、鈴木系の帝国炭業も進出した。
朝鮮の石炭は、煤煙が少なく主に家庭用燃料として使われて来た。大正7(1918)年、兼二浦製鉄所が操業すると石炭の需要が急増した。然しながら、朝鮮では製鉄用コークスの原料となる瀝青炭が産出しないため、内地および海外からの輸入に頼らざるを得ず、朝鮮産の石炭は、製鉄用以外の燃料炭としての需要に向けられた。
咸鏡炭坑は、201万7,876坪の鉱区を有し、良質の褐炭を月産8,000トン産出、大正13(1924)年に京城市場に流通するとその品質の良さが評判となり、撫順炭、内地炭を駆逐するほどの成績を挙げた。咸鏡炭坑の石炭は「咸興(かんこう=ハムフン)炭」と呼ばれ、硫黄分が少ないことから、家庭用のほかには朝鮮総督府鉄道局、朝鮮鉄道(朝鉄)、朝鮮郵便、朝鮮水力電気、朝鮮窒素、歩兵七十四連隊等大口需要家向けに販路を広げた。
咸鏡炭坑は、咸興、西湖津間10マイル(約10km)の鉄道敷設を機に資本金60万円の「咸鏡炭坑鉄道(株)」に改組、更に大正10(1921)年12月、「咸興炭坑鉄道」を合併し、年産10万トンの採掘能力を有する規模となり、朝鮮各地に販路を拡大した。