英国(ロンドン・シティー)
ロンドンの金融・ビジネスの中心地シティを拠点に世界に飛躍した鈴木商店
ロンドンの中心部は、「シティ・オブ・ロンドン」または単に「シティ」と呼ばれ、世界三大金融市場の一つ・ロンドン金融市場の中心地として、ロンドン証券取引所やイングランド銀行(バンク・オブ・イングランド)、ロイズ本社等が置かれニューヨークのウォール街と共に世界経済を先導し、世界有数の商業の中心地としても機能していていた。
19世紀以降、植民地その他の国々からのコーヒーその他の飲み物の取引から始まった“コーヒーハウス”から発展した各種商品の取引所が生まれた。取り分け重要な取引所として「ロンドン商品取引所(The London Commodity Exchange)」「ロンドン金属取引所(The London Metal Exchange ;LME)」「バルチック商業・海運取引所(The Baltic Mercantile & Shipping Exchange)」が挙げられる。
鈴木商店がロンドンに進出したのは、明治33(1900)年シティの一角ミンシングレーンに支店を開設し、砂糖の輸入、日本天産物の販売を開始したが、本店の組織変更に伴い、明治35(1902)年ロンドン支店は閉鎖、ロンドンには代理店が置かれた。
(「鈴木商店の履歴書」たつみ第14号)
鈴木商店が再びロンドンに本格的に進出するのは明治42(1909)年、シティの同じミンシングレーンに出張所を開設。初代所長として神戸居留地商館「イリス商会」出身の芳川筍之助が赴任し、ジャワ糖、ラングーン米、サイゴン米の英国への輸出を手掛けた。
大正元(1912)年、芳川の後任として高畑誠一が第二代所長として派遣された。高畑は、神戸高商卒3年目の25歳の若さであった。ロンドンでの高畑の活躍により、鈴木商店は大飛躍を遂げ、日本一の大商社に躍り出た。