①南大東島

絶海の無人島が製糖事業で開発進む 

 沖縄本島の約360kmの東方に位置する大東諸島の島で、サンゴ礁隆起によりできた。沖縄県島尻郡南大東村に属し、北方の北大東島とは8km離れている。

 大東諸島は、およそ4,800万年前ニューギニア近海で生まれた火山島が、フィリピンプレートの動きに伴ってサンゴ礁を形成しながら移動し、隆起してできた島で元々は、南北大東島は一つの島であった。南大東島は、面積30.53k㎡、周囲21.2km。

 明治33(1900)年、無人島だった大東諸島のうち、南大東島に八丈島より玉置半右衛門が入植し、「玉置商会」を興してサトウキビ栽培から製糖事業を始めた。明治36(1903)年の産糖高は、7,000貫(26,250kg)を記録した。

 事業が軌道に乗ると商店、学校、病院、郵便局等全てのインフラを整備・運営し、玉置商会が全島を領有して国の行政が及ばない事実上「社有島」とした稀有の事例が存在した。

 玉置半右衛門の死後、玉置商会の経営は不振に陥り大正5(1916)年、南北大東島に展開した玉置商会の全ての事業は、東洋製糖に売却された。

 東洋製糖は、折しも台湾銀行出身の下坂藤太郎の代表取締役社長の時代(大正3(1914)年~大正11(1922)年)であり、鈴木商店系列として台湾での製糖事業を拡大中であり、南北大東島での事業について鈴木商店の斡旋もあり玉置商会の事業を引き受けることになった。

 東洋製糖による玉置商会の事業の継承は、事業権の移譲ではなく、土地使用権の譲渡であり、事実上大東諸島の領有と云える。

 東洋製糖は、南大東島では500トン分密製糖機械を導入して大型分密糖工場を建設、海岸線鉄道(シュガートレイン)も開通させた。

関連資料

  • 東洋製糖時代の施設跡-1
  • 東洋製糖時代の施設跡-2
  • 南大東島のサトウキビ畑

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