ビール&発酵
鈴木商店大里コンビナートの一員として
九州・大里の持つ良質な水資源から我が国初の臨海工場として大里精糖所を建設した鈴木商店は、製粉、製塩事業に続いてビール・発酵事業を大里の地に展開した。
◆帝国麦酒(後の桜麦酒、現・サッポロビール)
設立 明治45(1912)年
所在地 大里町(現在の北九州市門司区大里)
明治末期、門司の実業家により地元にビール工場建設の計画が立てられるも資金難から頓挫、鈴木商店に支援を求めた。明治45(1912)年、九州初の本格的ビール会社として鈴木商店により大里に「帝国麦酒」が設立された。「サクラビール」の銘柄で発売され、国内のみならず中国大陸や東南アジアを始め世界各国に輸出された。
サクラビール発売に際しては、金子直吉、柳田富士松両幹部自ら営業の第一線に立って陣頭指揮し、大正期のビール業界で先発の大日本麦酒、麒麟麦酒に次ぐ第三位のシェア(10%)を占めるまでに発展した。鈴木破綻後、昭和4(1929)年社名を桜麦酒に変更、大日本麦酒と合併するまで約30年にわたってサクラビールは広く親しまれた。昭和18(1943)年、大日本麦酒と合併し、同社門司工場となった後、終戦後大日本麦酒が日本麦酒と朝日麦酒に分割されると門司工場は、日本麦酒(現・サッポロビール)傘下となった。
◆大里酒精製造所(後の日本酒類醸造、現・ニッカウヰスキー門司工場)
設立 大正3(1914)年
所在地 大里町
鈴木商店は、帝国麦酒と近い位置にあった保税仮倉庫の敷地に焼酎工場「大里酒精製造所」を大正3(1914)年に設立した。朝鮮、中国向けに輸出していたが焼酎醸造のための発酵原料(糖蜜、フスマ、ビール酵母)は、隣接する大日本製糖、大里製粉所、帝国麦酒から容易に調達できたことが大きな利点であった。
大里酒精製造所は大正6(1917)年、同業の「日本酒類醸造(旧・日本酒精」(宇和島)を吸収するも、社名を「日本酒類醸造」に改称した。さらには大正14(1925)年、同業3社(肥後酒精(熊本)、大日本酒精(鹿児島)、島原西肥興業(長崎)) と合併して「大日本酒類醸造」を設立。その後昭和3(1928)年、同業6社(大日本製酒、九州醸造、江口醸造所、丁字屋商店長浦工場、日向醸造、西海醸造)と合併を繰り返し、昭和19(1944)年、「大日本発酵工業」に改称した。
昭和35(1960)年7月合併による改称に伴って協和発酵の門司工場となり、北九州最大の焼酎製造工場として長く地域に親しまれた。平成14(2002)年、協和発酵はアサヒビールと合弁で「アサヒ協和酒類製造」を設立、アサヒビールグループの焼酎乙類の主力工場として運営された。平成18(2006)年にはグループ再編によってニッカウヰスキーの門司工場となり、同社最古の煉瓦造り工場として現在も稼働を続けている。