銀水荘「兆楽」
金子直吉が再起プランを練った有馬温泉・銀水荘
鈴木商店焼き討ちに焦点を当てた城山三郎の小説「鼠」の中で、金子直吉が晩年毎日のように有馬温泉に通ったことが記されていますが、その定宿が当館、銀水荘です。
車に書類を積み込み、神戸の事務所から宝塚越えで有馬へ。「銀泉」とよばれるラジウム泉に浸り、軽い夕食をとった後は、真夜中になるまで書類を調べ、再び神戸へ戻るのが日課だったといわれています。
金子翁には鼻の持病があり、ラジウム泉から出るラドンが効くと人づてに聞いて銀水荘に通うようになったようですが、鈴木破綻の処理とお家再興の秘策を一人静かに練ったに違いありません。当館にはいまでも、金子翁が“片水”号で自ら詠んで先々代おかみに贈った数首の句が額に収められて遺されています。
関西の奥座敷とも呼ばれる有馬温泉は、古くは日本書紀の「舒明記」(631年頃)にも記され、豊臣秀吉も愛したといわれる、日本三古湯(有馬温泉、道後温泉、南紀白浜温泉)のひとつです。有馬温泉では、塩分と鉄分を多く含み酸化して赤味を帯びた「金泉」と温度の低い炭酸泉の「銀泉」の二種類の温泉が湧き出ています。
有馬温泉「兆楽」は、銀水荘別館として45年の歴史を誇り、有馬で唯一、金泉、銀泉の二種類の温泉が楽しめる旅館でもあります。当館の金泉は、リチウムイオンを多く含み“いやし効果”があり、透明な銀泉は、気管支ぜんそく、リウマチ、痛風、関節症等に効果のあるラジウム泉に特色があります。
兆楽の原点・銀水荘は、昭和2(1927)年の創業で、創業時から鈴木商店の金子直吉翁が日帰りで頻繁に、時には馬車で来られたとも伝えられています。銀水荘本館の建物は老朽化したため、その隣接地に建て替えられ「銀水荘別館 兆楽」として生まれ変わりました。金子直吉翁ゆかりの俳句色紙、胸像、金子直吉伝書物など先々代おかみより伝わる品々を展示することも検討しております。