愛媛(内子町ほか)
皇帝(カイゼル)・高畑誠一を育てた内子町
愛媛県喜多郡内子村(現内子町)は、イギリスのチャーチル(当時海軍大臣、後の首相)が「カイゼル(ドイツ皇帝のこと)を商人にしたような男」と恐れた高畑誠一が生まれ育った町である。高畑は明治20(1887)年に生まれ、当時の内子町は木蝋の生産が盛んで商家が多く、教育熱心な町であり、西洋の文化をいち早く取り入れ、国際人を育てる風土があったともいえる。
同町内には、高畑の生家跡地に「貿易会先覚者・高畑誠一翁生家跡」の碑、内子町小学校には高畑の銅像、商いと暮らし博物館にも高畑が紹介され、高畑の功績は地域の人々によって保存されている。また禅昌寺は、高畑家の菩提寺である。高畑は明治26(1893)年に内子尋常小学校に入学。フランス建築様式の校舎は、現在、内子児童館となっている。
高畑が拠出して設立された「高畑奨学金制度」は現在も続き、また現在の内子幼稚園は、元々高畑の寄付によって建設された公民館「高畑会館」であった。「日本のゴルフ界の祖」とよばれる高畑は、町内にある愛媛ゴルフ倶楽部の名誉発起人となり、ゴルフコースの監修も行った。
松山市内の愛媛人物博物館では、愛媛ゆかりの偉人・賢人として産業界のトップに高畑誠一が紹介され、ゴルフクラブや写真等が展示されている。
西条市の西条高校は高畑誠一の出身校であり、昭和34(1959)年に同校の野球部が甲子園で優勝した記念に設立された高畑奨学金が現在も続いている。
愛媛県には金子直吉および鈴木商店ゆかりの地もある。新居浜市の金子城跡・慈眼寺は、金子直吉の祖先である長宗我部家の家臣金子備後守元宅の居城・菩提寺。隣接する滝の宮公園には、金子直吉が備後守について歌った句碑がある。
さらに南部(南予地方)に位置する宇和島市には、明治・大正期、一世を風靡した新式焼酎“日の本焼酎”を製造し、九州大里(門司)工場と合わせて本邦最大の焼酎会社となった「日本酒類醸造・宇和島工場」があった。